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天田昭次 收貞合作

【中文】

人間國寳 御守護劍 白山吉光寫

現代刀工,生於1927年。在1940年開始於栗原彦三郎所設的日本刀鍛治傳習所學習鍛刀。終戰後回到新瀉故鄉,並於1954年獲得文化財保護委員會的作刀認可。曾三度獲得鍛刀界最高榮譽的“正宗賞”。於1973年鍛造“伊勢神宮式年遷宮御神宝太刀”。在1997年獲得日本工藝家的最高榮譽,被認定為“人間國寳”。 天田昭次製作出不少具有強烈鐮倉與室町時代衆多名刀風格的刀劍。他除致力於製鐵的研究外,同時亦從事相州傳等不同流派的研究。 吉光亦被稱為“藤四郎”或“粟田口藤四郎吉光”。為山城傳粟田口流派,活躍於鐮倉時代中期,是這段時期的著名刀工,與相模國的正宗及越中國的鄉義弘並稱為”天下三作” 本作品的原作為吉光所鍛,並於1909年被指定為日本國寶。原作從德川家傳到前田家再傳到白山比咩神社。現寄存於石川縣立美術館。

【日本語】

人間国宝 御守護剣 白山吉光写

現代の刀工である天田昭次は、1927年に生まれました。1940年に栗原彦三郎が設立した日本刀鍛治伝習所で鍛刀の修行を始め、終戦後に新潟の故郷に戻りました。1954年には文化財保護委員会から作刀の認可を受け、鍛刀界で最も栄誉ある「正宗賞」を三度受賞しました。1973年には、伊勢神宮式年遷宮の御神宝太刀を鍛造し、1997年には日本工芸家の最高栄誉である「人間国宝」に認定されました。 天田昭次は、鎌倉時代や室町時代の多くの名刀のスタイルを強く反映させた刀剣を製作しまし、製鉄の研究に尽力するだけでなく、相州伝など様々な流派の研究も行いました。 吉光は「藤四郎」または「粟田口藤四郎吉光」とも呼ばれ、山城伝粟田口流派に属する鎌倉時代中期の著名な刀工で、相模国の正宗や越中国の郷義弘と並び称されており、「天下三作」の一人として知られています。 本作品の原作は吉光によって鍛えられ、1909年に日本国宝に指定されました。原作は徳川家から前田家に伝わり、その後白山比咩神社に伝えられました。現在は石川県立美術館に寄託されています。

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