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濃州関住兼道

【中文】

兼道為志津三郎兼氏之九代孫,為世代的美濃傳繼承者,被稱為末關的一派。兼道活躍於室町時代的天文(1532-1555)至永祿(1555-1558)年代。在移居京都西洞院夷川后與其長男“伊賀守金道”、次男“和泉守来金道”、三男“丹波守吉道”及四男“越中守正俊”並稱為“京五鍛冶”。

【日本語】

兼道は志津三郎兼氏の九代目の子孫であり、代々美濃伝を継承してきた刀匠で、末関の一派と称されました。兼道は室町時代の天文(1532-1555)から永禄(1555-1558)の時代に活躍しました。後に京都の西洞院夷川に移住し、長男の「伊賀守金道」、次男の「和泉守来金道」、三男の「丹波守吉道」、四男の「越中守正俊」とともに「京五鍛冶」として知られています。

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