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無銘(兼法)

【中文】

初代兼法於天文5年(1536)受當時越前(今福井嶺北地區及敦賀市)的領主朝倉孝景所召而出侍,並從美濃(今岐阜縣南)遷往越前的一乘谷城。兼法一共有五代, 現存的作品稀少。其作刀風格多具有相州風格的身幅廣,沸本位的特徵,但亦有帶有强烈美濃風格的作品存世。

【日本語】

初代兼法は天文5年(1536年)に当時の越前(現在の福井嶺北地域および敦賀市)の領主である朝倉孝景に召し出され、美濃(現在の岐阜県南部)から越前の一乗谷城に移りました。兼法は五代にわたりますが、現存する作品は稀少です。彼の作刀は、相州風の身幅が広く、沸本位の特徴を持つものが多くありますが、強い美濃風の作品も現存しています。

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